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2011/04/17 (Sun) 茅葺屋根の家の夏

昔話。
19年間生きてきた男の最も古い記憶。

読んでも面白いものではないので読まないこと推奨。まあいわゆる備忘録の意味合いで書く便所の落書きである。













小さい頃。
幼稚園に通っていたかも定かではない本当に小さい頃。
父と姉と茅葺屋根の家に行った。
当時富山に住んでいた時分、父はある茅葺屋根の家を守ろうと躍起になっていた。
その時代ではまだ珍しいインターネットを使って仲間を募り、茅葺屋根の家を守る会なるものを結成。
サークルのような活動をしていたようだ。
もちろん周りの人も働いているような人ばかり。
守る会自体はお題目で週末に山奥にあるその家で飲んだり食べたりといったことに興じていた気がする。
小学生ですらない自分にそんな年輩の方々の思惑が理解できるわけはなく、また同年代の子もいない。
そして唯一ある遊具と言えば家の梁に巻きつけられ垂れさがるブランコのみ。
そんなところに行きたがる幼児がいるだろうか。
もちろん私はそんな子供ではなかった。
週末になると一家全員でその茅葺屋根の家に行くことが億劫だった。

そんな幼少時代。

夏に父と姉と私でその家に行ったのである。
三菱の車に揺られ、道の悪い山道を四駆で駆る父、そしてそれを後ろのチャイルドシートに繋がれながら見る自分。
「またあのつまらない家に行くのか」

そんなことを思っていたのかどうかは定かではない。
とりあえず当時の私がよい感情を持っていなかっただろう。
山道を駆け上がった車は停車し、父がチャイルドシートから私を解放した。
そして着いた茅葺屋根の家。
そこには人が全くいなかった。
閑静な一軒家。それがとても的を射た表現だった。
いつもは居る大勢の大人たちがいない。
不思議に思った私は父にこのことを聞いたかもしれない。
しかしその質問や答えは最早忘却の彼方である。
忘れてしまった過去に分筆することは意味のないことなのでやめよう。
こうして私たちは無人の茅葺屋根の家にたどり着いたのである。

幼い私と姉を連れ、人のいない茅葺屋根の家で父は何をしたかったのか。
そのことにあまり興味はない。実際会の活動にも幼少時代、そして現在をもってしても興味はないし、このことを今の父に聞いてもいいかもしれないが、おそらく父はこのことを覚えていないだろう。
それくらい昔の話であり、かつこれはとてもどうでもよいまさに些事と言うほかない物語なのである。
しかし父が大人のいない茅葺屋根の家で何かをしていたのは確かである。
そして父が一通り作業をした後、私と姉にこう言い残した。
「電池を買ってくる。5分くらいで戻る」

何故散々覚えていないだとか記憶が不明瞭であることを書き連ねておきながら父の言葉を覚えているのかと思う人もいるかもしれないが、事実確かに私は覚えている。
どういった理由でこの言葉が私の中で長期記憶の本棚に組み込まれたか。
それはこれから説明するとしよう。

うだるような暑さ。じめじめとした湿気。セミが鳴き、バッタが跳ぶ。
そんな富山の夏、山の一軒家に私と姉は取り残されてしまったのである。
暇をつぶすために遊ぶ姉と私。
といっても遊ぶための遊具はブランコしかないのでそれに交代で乗っていた。
しかし待てど父は帰ってこない。
5分経っても10分経っても父は帰ってこなかった。
子供の体感時間は長い。そのため錯覚に陥ったのかもしれないが30分は最低でも帰ってこなかった。
遊び疲れた私と姉は縁側に座っていたと思う。
「思う」と記憶が不鮮明であるのは目をつぶっていただこう。
姉弟が見つめ続ける一点は整備の行き届いていない山道。
そうしても父が早く来るわけでもないのに私と姉は来た時の道を見つめ続けたのである。
しかし、父は帰ってこなかった。
私たちは2人、山の中の一軒屋に閉じ込められてしまった。

幾ら時間が経ったか。それはもう思い出すことは叶わない。
もしかしたら捨てられたのではないか、という一抹の不安が子供心に響いた。
そんな私の不安を感じたのか、あるいはただ見つめ続けることに飽きたのか姉は私に向けてこう言った。
「山を下りよう」

山道は一本道だから降りれば市街地に着くだろう。
しかし、私にはそれはあり得ない選択肢だった。
迷ったらどうするのか?
下に行ってどうするのか?
父が見つかる保証はあるのか?
小さな私がこんなことを思うはずがないが私は姉について行くのをためらった。
待つという行為を諦めてしまうとき、この家という世界を捨て新しい世界へ出ていかなければならない。
私は新しい世界へ飛び込むのが怖かった。

しかし、姉は私を無視して山道を降りて行こうとした。
選択の時だった。
保守化、革新か。
数瞬逡巡した結果、

私は姉の手を取ったのである。

それは正しかったのか。あるいは間違っていたのか。
私は、私たち姉弟は2人ぼっちで山を下りて行った。
下りている最中は無言だった。
姉も私も何も言わなかった。
私が半べそをかいていたから姉がそれに苛立っていたからかもしれないが。
しかし、姉はそれでも私の手をしっかり握っていてくれた。
いつまでも、いつまでも姉弟の影は繋がったままだった。



この後の顛末が気になるかもしれないが、面白みがないものなので巻いて話そう。
下山途中に偶然父が車で山道を登ってきたため私たちの冒険はあっけなく幕を閉じた。
父は私たちを怒ることなく車に乗せ、茅葺屋根の家に直行。
そこで一通り作業した後、我々はある喫茶店に向かった。
茅葺屋根の家に行った後市街地のその喫茶店でメロンソーダを飲むのが私の楽しみだった。
そこで飲んだサクランボとアイスの乗っけられた緑色の飲み物の味をどのように感じたかはもう思い出せない。

ただ、あの時。
姉が強く握り返してくれたことを。
単身山を下りようとした姉の蛮勇を。
2人取り残された富山の夏を。
寂しく揺られたブランコの虚しさを。


ふとした瞬間に、思い出すのである。
















そんな姉は現在就職難の中で世間の荒波を知っている真っ最中らしい。
なにかと金のかかる中、バイトもなかなかできず貧困にあえいでいるとかないとか。
あの時の恩返しというわけではないが(そもそも恩を感じることでもない気がする)
少しくらい工面してやろうかな、などと春の長閑な昼下がりにふと思うのであった。

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俺 そういう話好きだわ
なんか一抹の恐怖感とか寂しさとかマイナスのイメージを伴った、個人の思い出。
俺には兄弟がいないから、兄弟姉妹の絆はよくわからないけど、なんか心が温まった。

2011/04/18 22:17 | 劫火 [ 編集 ]


 

こんな自己満話読んでくれてありがとー
まぁこんなエピソードあっても姉弟仲はあんまよくなかったり
不思議なもんですよ

2011/04/19 09:31 | 千春 [ 編集 ]


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